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西楽寺の歴史

安養山西楽寺は、江戸時代(延宝八年)に書かれた「西楽寺記」によると、今から約1300年程前に聖武天皇が行基に命じて開かせたとあります。多くのお堂や塔が立ち並び最盛期には附属の小さなお寺が十二坊もあったようですが、度重なる火災や戦争で焼けてしまい江戸時代には八坊と少なくなっています。

 

しかし、寺領と格式は高く、天文十二(1543)年には駿河の今川義元から九町七反が、天正十八(1590)年には豊臣秀吉から一七〇石が安堵されました。また、室町時代には今川氏の祈願所として、江戸時代には遠州地方の真言宗の総本山となり、幕末には有栖川宮家の祈願所になっています。

 

現在の本堂は享保年間(1716~1735)に入母屋造柿葺の禅宗様式で建築されました。昭和五五年に静岡県指定の文化財に指定され、平成三年から解体修理が行われ創建当初の姿に蘇っています。

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​西楽寺と《徳川家康公》《豊臣秀吉公》《有栖川宮家》

​数百の古文書が残され今も研究が続けられており、《徳川家康公》《豊臣秀吉公》《有栖川宮家》との関わりがあり、実際に来訪があったことなどが記されています。書状や許可状なども損壊が少なく綺麗な状態で残っており、来訪時の逸話なども記されております。《徳川家康公》の来訪時、総門前の『下馬石』前で馬から降り、『学頭坊』にある『駒繋ぎの桜』にて馬を繋がれておりました。

 

火災や戦争、「廃仏毀釈」(明治維新の初期に起きた「仏教を排して神道を中心に据えよう」とする運動のことで、各地で神社から仏教関係のものが追い出され、寺院の破壊・仏像や仏具の焼却・僧侶の追放といった過激な運動)などにより残されているのは『学頭坊』と『本堂』のみですが、『下馬石』と『駒繋ぎの桜』は現在でも拝むことができます。

また、『本坊 位牌堂』には《徳川家》《豊臣秀吉公》の御位牌が安置されており、手を合わすことが可能です。西楽寺は昔、『東照宮』の候補のひとつともなっており、それだけ《徳川家康公》との関係があったのだと推測されます。

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​映像資料と研究、講座資料

真言宗智山派 安養山西楽寺

〒437-0122 静岡県袋井市春岡384 TEL:0538-48-6754 FAX:0538-48-6261

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