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ネパール仏教僧侶による仏教舞踊チャルヤー・ヌリテャ(行舞)特別レクチャー・懇談会

sairakuji

更新日:2024年4月21日

2023年8月26日、西楽寺本堂にてネパール仏教僧侶《プラジョワール師(Prajwal Ratna Vajracharya師)》と日本初のネパール舞踊家、行舞師範である《岡本 有子》氏のお二人をお招きし、ネパール仏教舞踊のチャルヤー・ヌリテャ(行舞)の特別レクチャーと懇談会が開催されました。


ネパール仏教舞踊チャルヤー・ヌリテャ

チャルヤー・ヌリテャとは、そして何故西楽寺で?



 

①チャルヤー・ヌリテャ -Charya Nritya-(行舞)とは


チャルヤー・ヌリテャ(行舞)は、修行者が知慧を得て涅槃を目指す仏教の教義による舞です。


 Charyaはサンスクリット語で「行」Nrityaは「舞」を意味します。

Nrityaの語源は「Nitya(絶え間なく)」であり、そこから「絶え間ない行」という意味とも捉えることができます。

 本来「行」であることから、人前で行う舞ではなく、扉を閉めて一人または二人で、あるいは許されたものの前でのみ行う神聖な舞とされています。


今回はそのように神聖な行舞を特別に、岡本氏の解説を聞きながら拝見できるとても貴重な機会となりました。


行舞を舞うプラジョワール師とその意味を解説する岡本氏


②そもそも、何故西楽寺を選んだのか?


山名神社天王祭舞楽保存会さんと森町教育委員会の印刷物に、


「遠州飯田山名神社祇園祭の舞ものは、摂津国四天王寺(大阪四天王寺)から伝承したと当社の指南書には記されている。しかし、応仁の乱以前の京都祇園御霊会に舞われた芸能を、室町時代永正の初め頃(1504〜)に遠州宇刈郷西楽寺は執行する祇園会に取り入れられたものと考えられている。「京都祇園祭蟷螂山調査記録」によれば、小田原城主北条早雲の重臣外郎氏は南蛮貿易の豪商で、遠州西楽寺市場(飯田市場・宇刈市場は山梨町の前身)等に出入りし、京都祇園会の伝統舞を当地に伝えたと「宇野日記」に記されていたという。

(中略)遠江国府祇園会には、府八幡神宮寺を通じて西楽寺が関わったようで、「祇園舞車」の芸能要素を当社の舞や舞台に見ることが出来る」とあります。


要するに、


”山名神社の舞ものは、大阪四天王寺から伝わったもので、それを西楽寺の祇園会に取り入れた”

”西楽寺市場に出入りしていた南蛮貿易の豪商によって、京都祇園会の伝統舞が伝えられた”

という事です。


森町に遥か昔から伝えられている舞=「森町天宮神社の十二段舞楽」「小國神社の十二段舞楽」「山名神社の天王祭舞楽」は仏教由来であり、そのうちの「山名神社天王祭舞楽については西楽寺から始まったという風に考えられます。


その為、岡本氏は西楽寺でネパール仏教舞踊である「チャルヤー・ヌリテャ」を行いたいと考えられ、今回の企画が実現されました。


仮面を着けて舞うネパール舞踊


③プラジョワール師と岡本有子(真宥)氏について


プラジョワール師 Prajwal Ratna Vajracharya 師


ネパール密教行舞特別師範。カトマンドゥ・カンティプル地域の金剛阿闍梨。行舞の権威、故ラトナカジ・ヴァジュラーチャールヤ僧の六男で正統派行舞の継承者。父に付き12歳より修行。1996年故ビレンドラ国王より表彰。2009年米オレゴン州ポートランドに、ネパールとしても約500年ぶりに海外としては初のネパール仏教寺院を開基。ヨーロッパ・アジア・全米各地にてネパール密教金剛阿闍梨として各種法要に当たるほか、行舞のレクチャーや公演で活躍中。現在ネパールにおいて、彼ほど多くの行舞を舞える者はいない。ネパール密教チャルヤー・ヌリテャ保全活動組織ヌリテャ・マンダラ主宰。オレゴン州在住。二番目の兄は著名なネワール金剛阿闍梨のタンカ絵師故ガウタムラトナ師で、国立大阪民族博物館に250点もの作品が所蔵されている。


プラジョワール師

岡本 有子(真宥)氏


日本初ネパール舞踊家、行舞師範。1985年からネパール民族舞踊蒐集を開始。1996年国立トリブヴァン女子大パドマ・カンニャ校舞踊・音楽科留学。1997年故ビレンドラ国王より表彰。プラジョワールの父、故ラトナカジ・ヴァジュラーチャールヤに師事し、行舞を習得。和光大学非常勤講師。国内外で講演と指導に従事。比叡山で加行をした天台宗尼僧でもある。ネパール語通訳。


岡本有子(真宥)氏

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